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東京地方裁判所 平成11年(ワ)28242号 判決

原告 山崎智之

原告 下澤瓔子

原告 石田裕子

右三名訴訟代理人弁護士 雨笠宏雄

被告 伊東茂雄

右訴訟代理人弁護士 中川登

加藤木正紀

主文

一  被告は、原告ら各自に対し、金一〇〇〇万円及び内金五〇〇万円に対する平成一一年三月二日から、残金五〇〇万円に対する平成一一年九月一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

〔請求の趣旨〕

主文と同旨

〔請求の趣旨に対する答弁〕

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

二  当事者の主張

〔原告らの請求原因〕

1  原告らは、平成九年一一月一七日に死亡した石田武男(以下「武男」という。)の子であり、被告は、武男の子ではなく、その妻石田はな(以下「はな」という。)の子である。

2  原告らと被告は、平成一〇年七月二五日、武男の遺産につき、次の内容の合意(以下「本件合意」という。)をした。

(1)  原告らは、被告が武男の左記全遺産を遺贈により取得したことを承認する。

<1>可塑化学工業株式会社の株式二万株(全株)

<2>東京セルロイド工業株式会社の株式一万五〇〇〇株(全株)

<3>その他現金、預金、動産、その他債権、債務一切

(2)  被告は、原告らそれぞれに対し、代償金として、金一五〇〇万円を次のとおり分割して原告らの指定する銀行口座に振り込んで支払う。

<1>平成一〇年八月三一日限り各金五〇〇万円

<2>平成一一年三月一日限り各金五〇〇万円

<3>平成一一年八月三一日限り各金五〇〇万円

(3)  原告らと被告との間には、武男の遺産に関し、他に債権債務のないことを確認する。

3  被告は、原告らに対し、前項(2) の分割金のうち<1>の平成一〇年八月三一日支払分の各金五〇〇万円の支払をしたが、その余の支払をしない。

4  よって、原告らは、被告に対し、本件合意に基づき、各金一〇〇〇万円及び内金五〇〇万円に対する弁済期の翌日である平成一一年三月二日から、残金五〇〇万円に対する弁済期の翌日である平成一一年九月一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める。

〔原告らの請求原因に対する被告の認否及び主張〕

1  請求原因1、同3の事実は認め、同2の事実は否認し、同4は争う。

2  原告ら主張の本件合意は、以下の理由により成立していない。

(1)  本件合意は、遺産分割協議としてされたものである(以下、これを「本件遺産分割協議」という。)が、被告は、武男の法定相続人でないことはもとより、包括受遺者でもないから、武男の遺産についての本件遺産分割協議の当事者とはなり得ない。

(2)  仮に、被告が武男の遺産分割協議の当事者であったとしても、本件遺産分割協議は、武男の生前に既に同人の所有ではなかった可塑化学工業株式会社の全株式及び東京セルロイド工業株式会社の全株式を対象としており、相続財産を対象としたものではない。

(3)  仮に、被告が武男の遺産分割協議の当事者であったとしても、被告は、本件遺産分割協議書に署名押印をしていない。

(4)  原告らと被告は、武男の遺産に関して協議をしたが、基本的事項についての合意は成立しておらず、これを書面化するための詰めが残されており、最終的な合意には至っていなかった。

〔被告の抗弁〕

本件合意は、次のとおり、被告の錯誤に基づく意思表示により成立したものであるから、無効である。

(1)  本件合意の成立に際し、被告は自分が包括受遺者でないにもかかわらず、包括受遺者であると考えて本件合意に応じたのであり、被告の右認識は、本件遺産分割協議書中に記載され、表示されている。

(2)  可塑化学工業株式会社は多額の負債を抱えた赤字経営の会社であり、東京セルロイド工業株式会社は清算手続中の会社であって、これらの会社の株式が経済的には売買の対象とはなり得ないものであるにもかかわらず、これを本件合意の対象としたことに、被告の錯誤がある。

(3)  被告は、武男の死亡前の平成六年一月ころ、武男から、同人所有の右各会社の株式の各七〇パーセントの贈与を受け、これを所有していたのであるから、右各会社の全株式を対象とする本件合意は、その対象の数量につき、被告に錯誤がある。

(4)  被告は、武男の死亡退職慰労金が相続財産に含まれると誤信して本件合意に応じたのであるから、その対象の数量に錯誤がある。

〔被告の抗弁に対する原告らの認否及び反論〕

1  被告の抗弁事実は、いずれも否認する。

2  本件合意は、次のとおり有効に成立しており、本件合意には、被告主張の錯誤はない。

(1)  原告らが被告と面談した際、被告が武男からその財産の全部を任せられ、もらったと主張したので、原告らは、被告が原告ら各自に対し金一五〇〇万円を支払うことを条件に、被告が武男の財産全部を取得することを認めたものである。

(2)  前記各会社の全株式を所有していたのは、武男であり、甲第二号証の四の第一項の「右二社の現在の株主とその株式の保有割合」の記載は、実際の株主とその保有割合を記載したものではない。

(3)  死亡退職金は遺族固有の権利であるが、退職金規定で受給権者が定まっていない場合には、結局、相続人である原告らが取得するのであり(被告が受領することができる根拠を証する証拠はない。)、原告らは、被告から前記金員を受領することを条件に、被告が右死亡退職金を取得することをも認めたのである。

(4)  仮に、被告が武男の財産全部をもらったことがないのであれば、本件合意により、原告らは、被告に対し、原告らが相続により取得した武男の遺産のすべてを譲渡し、被告は、その代償として、前記金員を支払う旨を約したのである。

また、仮に、前記二社の株式が武男の所有でないとしても、原告らは、被告に対し、原告らが所有している前記二社の株式及び原告らが相続により取得したその余の武男の遺産のすべてを譲渡し、被告は、その代償として、前記金員を支払う旨を約したのである。

いずれにせよ、本件合意において、原告らが相続により取得した武男の遺産のすべてを被告に譲渡し、被告は原告らに対し、その代償として前記金員の支払を約したのであって、被告には、何らの錯誤もない。

理由

一  争いのない事実

請求原因1、同3の事実は、当事者間に争いがない。

二  争点についての判断

1  本件の争点は、<1>本件合意が成立したか(請求原因2・争点1)、<2>本件合意は、被告主張の錯誤により無効であるか(抗弁・争点2)である。

2  そこで、まず、争点1についてみるに、甲第二号証の一ないし六、第三号証ないし第六号証、第九号証ないし第一三号証、乙第三号証、証人上野忠義の証言並びに原告山崎智之及び被告各本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる(前記争いのない部分を含む。)。

(1)  武男は、昭和一四年一〇月一〇日に宮下澄江と婚姻をし、昭和二五年九月一三日に協議離婚をしたが、原告石田裕子(以下「原告裕子」という。)及び原告下澤瓔子(以下「原告瓔子」という。)は、右婚姻中に武男と宮下澄江との間に、それぞれ長女、二女として出生した。

武男は、昭和二五年一二月二六日、はなと婚姻をした。はなは、右婚姻前に伊東濱尾と婚姻していたが、被告は、伊東濱尾とはな夫婦の長男として出生した。

原告山崎智之(以下「原告智之」という。)は、武男と山崎〓よ子との間に出生した子であり、武男は、昭和四二年一月二三日、原告智之を認知する旨の届出をした。

(2)  武男は、平成九年一月一七日、死亡したが、同人は、生前、同じカトリック教会の会員で親しい友人であり、同人が経営していた後記二つの株式会社の顧問でもあった上野忠義弁護士(以下「上野弁護士」という。)に対し、自分の死後の財産の処理に関する考えを記載した三通の書面(<1>昭和五六年二月二五日付け「遺言のこと」と題する書面、<2>昭和五九年一一月五日付け「遺言書」、<3>平成六年一月三一日付け「遺言のこと」と題する書面)を預けていた。

(3)  武男死亡後、原告ら三名、被告及び上野弁護士の五名が、平成一〇年二月二八日、同年七月二五日の二回にわたり、東京都新宿区の京王プラザホテルの一室に集まり、武男の遺産の処理に関する協議を行った。

平成一〇年二月二八日に開かれた第一回目の会合において、上野弁護士は、武男から預かった前記三つの書面を原告ら及び被告に示し、武男の遺志はこれらの書面に記載されたとおりであるから、これに従ってもらいたい旨の発言をした。

右書面のうち、右<1>の昭和五六年二月二五日付け「遺言のこと」と題する書面は、同人が死亡する約一五年も前のもので、同人の押印もなく、その内容、体裁からみて、メモないし草稿のようなものである。

右<2>の昭和五九年一一月五日付け「遺言書」は、武男が全文を自署し、署名、押印もされ、訂正印も押されていることから、自筆証書遺言の体裁を整えたものであるが、その内容は、妻はなを武男が経営する後記二つの株式会社の代表取締役とすること、右各株式会社所有の不動産の賃料収入に関する経理処理は、その代表取締役である妻はなの裁量により決すること、この遺言書に記載しなかった細部の事項については、武男自筆のメモで上野弁護士に指示し、委託してあるので、同弁護士の指示を受けてこれに従うこと、妻はな死亡後、後記二つの株式会社を統括して後継する者は、同弁護士に武男が委託した株主名簿の持ち株の範囲内の権限のみを有すること等であり、その内容の大半は、右遺言が効力を生じた平成九年一月一七日当時、既に死亡していた妻はなに対するものであった。

右<3>の平成六年一月三一日付け「遺言のこと」と題する書面(以下「本件書面」という。)は、武男の署名、押印はあるものの、その本文がタイプされたものであり、その冒頭にも記載されているとおり、「法的には遺言書としての効力はない」ものであった。本件書面は、上野弁護士が武男と相談した上、同弁護士の事務所でタイプされ、作成されたものであり、その内容は、武男が経営する可塑化学工業株式会社及び東京セルロイド工業株式会社の「現在の株主とその株式の保有割合」(右二社とも、被告七割、原告ら各一割。なお、「上野一郎」は原告裕子の関係者)を記載し、武男死後の右二つの会社の役員構成についての武男の希望(被告を代表取締役とすること等)及び右二社が所有する不動産を他に売却する場合の売却方法及び売却代金の分配の方法(右売却の際、右二社の株式も一括売却し、株式売却代金の分配は持ち株割合によるものとすること等)及び右株式以外の一切の資産はこれを被告に遺贈すること等を記載したものであった。本件書面中、右二社の「現在の株主とその株式の保有割合」の記載については、右二社は、実際は、武男が全株式を所有していたのであり、生前贈与により被告、原告らに武男所有の株式を譲渡した場合には贈与税の課税の問題があり、また、本件書面は遺言としての効力がないものであったことから、武男死亡時において、武男が希望する本件書面記載の株主構成になっていたとの外形を作出するために、「現在の株主とその株式の保有割合」という表現がされ、実際とは異なる株主構成が記載されたものである。

なお、右二社は、武男死亡当時、プラスチック製品の製造、加工等の本来の事業は営んでおらず、その所有する不動産を他に賃貸し、その賃料収入があるだけという状態であった。

右第一回目の会合において、被告は、原告らに対し、自分の母はなが、沢山の財産を武男のために無くしたこと、武男の療養看護は自分と妻がしたことを話した上、武男の全財産は全部自分に任され、もらったものであり、公正証書遺言を作成する準備までしていたと主張した。

これに対し、原告らは、仮に被告の言うことが事実だとしても、原告ら相続人には遺留分の権利があるのでこれを主張し、遺産の半分を原告ら相続人に渡してほしいと要求した。このようなやり取りの中で、被告が、武男が経営していた可塑化学工業株式会社及び東京セルロイド工業株式会社所有の土地、建物を一億五〇〇〇万円で売却したことを明らかにしたので、原告らは、被告に対し、武男の遺産の明細及び右売買契約の詳細を明らかにすることを求め、再度、話合いをすることになった。

(4)  同年七月二五日に第二回目の会合があり、被告から、原告らに対し、武男が経営していた右二社の財務状況の説明をし、清算中の東京セルロイド工業株式会社の残余財産は二二〇〇万円であり、可塑化学工業株式会社については資産よりも借入金の方が多いと述べた。更に、被告は、原告らから、可塑化学工業株式会社の借入金の詳細について説明を求められ、被告は、次のとおりであると説明した。

可塑化学工業株式会社の負債総額 一億三一七〇万円

内訳

固定資産税             四三〇万円

都民税                三〇万円

弁護士報酬             四七〇万円

会計事務所              九〇万円

※武男死亡退職金          五七〇〇万円

※借入金(武男)          二四三〇万円

〃 (はな)           四〇〇万円

〃 (山崎〓よ子)        一八〇万円

〃 (原告智之)         一一〇万円

〃 (東京セルロイド工業株式会社) 一〇万円

他に法人税未払い金、

敷金預かり金(岩崎電気)      三三〇〇万円

被告は、原告らに対し、可塑化学工業株式会社の負債についての右説明を前提に、東京セルロイド工業株式会社の残余財産二二〇〇万円のみを、上野弁護士が持参した本件書面(甲第二号証の四)に記載された東京セルロイド工業株式会社の前記持ち株比率に応じて原告らに各一〇パーセントずつを配分することとし、その余の東京セルロイド工業株式会社の残余財産及び可塑化学工業株式会社からの武男の死亡退職金及び同社への貸付金(※のもの)については被告が全額取得したい旨主張した。

これに対し、原告らは、相続人として遺留分の権利があることを主張し、被告が説明した事実を前提としても、可塑化学工業株式会社からの武男への死亡退職金と武男の同社への貸付金の合計八一三〇万円及び東京セルロイド工業株式会社の残余財産二二〇〇万円を合計した金額の半分に多少の上乗せをした金額、すなわち、最低でも各人につき二〇〇〇万円に多少上乗せした金額をもらいたいと主張した。

このような原告らの要望に対し、被告は、前回と同様の事情を述べ、原告らの取り分の減額を主張するなどして、協議は難航したが、上野弁護士から、原告らの取り分を各一五〇〇万円とする案が提示され、原告ら、被告の双方とも、これを了承し、最終的に、請求原因2記載の本件合意が成立した。その内容は、<1>被告が武男の全遺産(右二社の全株式、武男所有の現金、動産その他債権債務一切)を遺贈により取得したことを原告らが承認する、<2>被告は、原告らそれぞれに対し、代償金として、金一五〇〇万円を三回に分割して原告らの指定する銀行口座に振り込んで支払うというものであった。

被告は、本件合意の内容を文書にしておきたいと提案したので、上野弁護士が「遺産分割協議書」(甲第二号証の五)を作成し、まず被告に送付して署名押印を求めたが、同年八月一〇日、被告が上野弁護士の許を訪れ、原告ら三名への金銭の支払時期と金額は同じであるが、税理士と相談の上、右二社の帳簿との関係を考慮した表現ないし文書に改めさせてほしいとの申出をし、同弁護士はこれを了承した。同弁護士は、被告に対し、直ぐに対案を提出するように求めたが、その後、被告からは、対案は提出されなかった。

(5)  被告は、本件合意に基づき、同年八月三一日、原告ら各自に対し、第一回の分割金五〇〇万円を支払ったが、平成一一年二月下旬、原告らに対し、金がないので第二回の分割金の支払日(平成一一年三月一日)を三か月延期してほしいとの電話連絡をし、それ以降、残りの分割金の支払をしなかった。以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実関係によれば、原告ら及び被告間において、請求原因2記載の本件合意が成立したものと認めるのが相当である。

被告は、本件合意は遺産分割協議としてされたものであるが、被告は、武男の法定相続人でないことはもとより、包括受遺者でもないから、武男の遺産についての本件遺産分割協議の当事者とはなり得ないことを理由に本件合意の不成立を主張する。そこで、この点についてみるに、前記認定事実によれば、上野弁護士が武男から預かった前記各書面のうち、遺言書の体裁を有するものは、昭和五九年一一月五日付け「遺言書」のみであるが、これもその内容の大半は、右遺言が効力を生じた平成九年一月一七日当時、既に死亡していた妻はなに対するものであり、その内容からみて効力を生ずる余地のないものであったこと、前記第一回目の会合において、被告は、被告が武男から全財産を譲り受けた旨の公正証書遺言を作成する準備をしていたとの説明をしたことなどの点に照らすと、結局、武男が被告に対し包括遺贈をする旨の遺言はなかったと認めるのが相当であり、被告が遺産分割協議の当事者となり得ないことは、被告の主張するとおりである。しかしながら、上野弁護士が、原告らと被告との間の本件協議を「遺産分割協議」と表現したのは、次のような事情によるものであった(前掲上野証言及び山崎証言により認めることができる。)。すなわち、法的には、被告は、武男の相続人ではなく、包括受遺者でもないことから、武男の遺産に関しては、全くの無権利者ということになるのであるが、被告は、武男と養子縁組はしていないものの、長年にわたって、実の息子のような関係にあり、武男の晩年には、被告夫婦で手厚く介護していたことなどから、いわば跡取り息子のようなものであること、そして、武男の遺志は、本件書面に記載されたとおり、武男の経営する二つの株式会社の株式以外の一切の資産は被告に遺贈するというものであったこと、また、被告が、本件協議の場で、武男の全財産は自分に任され、自分がもらったものであるとの主張をしたことなどから、本件書面は、遺言としての効力のないものではあるが、原告らにおいても、本件書面に表れた武男の遺志を尊重し、武男の全遺産を被告が「遺贈」により取得したことを認めることとし、他方、仮に被告に右「遺贈」がされた場合には、原告らには遺留分の権利があり、本件協議において、原告らは、これを主張したので、原告らが右「遺贈」を認めることとの見返りに、被告が原告らに対し、各一五〇〇万円を支払うことを承諾し、本件合意が成立したものである。現実に、法的な効力を有する被告への遺贈がされたのではないが、遺言書に準ずるような本件書面があったことから、そこに表れた武男の遺志を尊重し、原告ら相続人が、「遺贈」という表現でその相続分をすべて被告に譲渡することとし、その代償として、被告は、原告らに対し、右金員を支払うこととしたのであって、これを、広い意味での遺産分割協議という形式で行ったにすぎないものである。

したがって、被告の右主張は採用することができない。

また、被告は、本件遺産分割協議は、武男の生前に既に同人の所有ではなかった可塑化学工業株式会社の全株式及び東京セルロイド工業株式会社の全株式を対象としており、相続財産を対象としたものではないことを理由に本件合意の不成立を主張するが、前記認定のとおり、武男死亡当時、右二社の全株式は、同人が所有していたものであるから、右主張は、採用することができない。

次に、被告は、本件遺産分割協議書に被告が署名押印をしていないこと、書面化するための詰めが残されていたことを理由に、本件合意の不成立を主張するが、平成一〇年七月二五日に開かれた第二回目の会合において本件合意が成立したことは、前記認定のとおりであり、右主張も採用することはできない。

3  次に、本件の争点2(抗弁・本件合意は、被告主張の錯誤により無効であるか)についてみるに、前記認定の事実関係に照らせば、本件合意につき、被告の意思表示に被告主張の錯誤があったとは、到底認め難い(これを認めるに足りる証拠はない。)

被告は、可塑化学工業株式会社は多額の負債を抱えた赤字経営の会社であり、東京セルロイド工業株式会社は清算手続中の会社であって、これらの会社の株式が経済的には売買の対象とはなり得ないものであるにもかかわらず、これを本件合意の対象としたことに、被告の錯誤がある旨主張するが、<1>前記認定のとおり、右二社とも、武男死亡当時、本来の事業は行っておらず、その所有する不動産の賃料収入があるだけの会社であって、赤字経営であったことを認めるに足りる証拠はないこと、<2>被告が説明した可塑化学工業株式会社の負債の内訳をみると、税金(固定資産税、都民税)や弁護士報酬や会計事務所に支払うべき金員の合計額は一〇二〇万円にすぎず、その余の大半は武男に対する死亡退職金や武男、原告智之ら身内からの借入金であり、これを裏付ける資料もないものであること、<3>また、東京セルロイド工業株式会社については、残余財産として二二〇〇万円があることは被告自身が原告らに説明しているところであること、<4>被告は、右二社の代表取締役又は代表清算人として、右二社が所有する土地三筆を、平成一〇年一月二八日、訴外那須興産有限会社に売却した(甲第九号証ないし第一一号証により認められる。)が、被告の説明によれば、その売買代金は一億五〇〇〇万円であったことなどの諸点に照らし、右主張は、採用することができない。

また、被告は、武男の死亡前の平成六年一月ころ、武男から、同人所有の右各会社の株式の各七〇パーセントの贈与を受け、これを所有していたのであるから、右各会社の全株式を対象とする本件合意は、その対象の数量につき、被告に錯誤がある旨主張するが、本件全証拠によるも、右生前贈与を認めるに足りないから、右主張は、その前提を欠くものというべきである。

更に、被告は、武男の死亡退職(慰労)金が相続財産に含まれると誤信して本件合意に応じたのであるから、その対象の数量に錯誤がある旨主張するが、一般に、死亡退職金について、就業規則等において相続人とは別に受給権者が定められている場合には、当該死亡退職金は相続財産とはならず、受給権者に固有の権利であるというべきであるが、本件において、可塑化学工業株式会社の就業規則等において、相続人以外の者を死亡退職金の受給権者とする旨の定めがあったことを認めるに足りる証拠はないから、右主張も採用し難い。

してみると、被告の抗弁は採用することができない。

三  結論

以上の次第であり、原告らの請求はいずれも理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担について民訴法第六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋利文)

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